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  • 教員養成GP連続講座「社会・他者との対話」第1回

  • 講演記録――映画『こんばんは』上映会監督講演
    2006年10月17日 慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール
    講師 森康之氏(映画監督)

 皆さんこんばんは。本日は映画をご覧頂きまして有難うございました。日頃あまり知られていない夜間中学の世界。夜間中学というのは一体どういう学校なのでしょうか。私自身、1991年に夜間中学を知りその後夜間中学に通い、是非これを映画にして多くの方にご覧頂きたいと思いました。この映画は自主制作の為お金が出ません。昼間に自分の仕事をし、夜にはこの映画に参加をしてもらい、スタッフ一人ひとりにお願いして皆で力を合わせて作った映画です。

 「夜間中学」というのは、以前、確かNHKのドキュメンタリー番組で見た記憶がありました。1960年代初めだと思いますが、当時、荒川区のとても貧しいところでは子供が昼間に働かなければなりませんでした。アルバイトなどでも無く、学齢の幼い子供が働かなければその家の家計が成り立たなかったのです。当時はそのような時代であり、またそのような場所が日本全国いたるところにありました。そこで学齢の子どもたちが義務教育を受ける為に作られた学校が夜間中学です。そういう意味では、最初は貧困によって学校に通う事が出来ない子供達の為に作られたのが、夜間中学でした。

 少し宣伝をさせて頂きますと、NHKの教育テレビでは『知るを楽しむ』という番組を放送しています。その中の毎週水曜日に放送されている『人生の歩き方』(『知るを楽しむ――人生の歩き方2006年10月・11月』NHK出版、2006年)で、この映画にも出演されていた見城慶和さんが、なぜ教師になったのか、夜間中学でどうだったのか、夜間中学の教育は何故あるのか、同時に夜間中学の教育と他の教育はどう違うのか、という事を11月に4回にわたって皆様にお伝えするのですが、今私はその番組の編集を担当しており、それでNHKが昔撮影したテレビフィルムを探したのです。

 私も話には聞いていたのですが、子供達が働いて家計を支えなければならないという現状を映したビデオなども沢山ありました。その中で、学校だけが子どもたちの楽しみで、学校が自分たちの天国だということを子どもたちが詩などに書いているのです。それで本当にその様な現実があったということを実感し、同時に学校こそが夜間中学に来る人々の心のよりどころだという事を、今、編集しながら感じてもいるところです。

 そういう点では、夜間中学の在り方そのものも時代の変遷と共に変わってきました。夜間中学へ通っている人達は、何を求めて学校へ来ているのだろうかということです。最初は貧困によって学校に通う事が出来ない子供達の為に作られました。この映画の中で見城先生がおっしゃっていましたが、精選した漢字381文字を覚えれば、私達が日常暮らしている中で大体のものは読めるというのです。漢字は昨今ずいぶん溢れていますから、「本当にそれで読めるのですか」と聞いたところ、非常に自信を持って「読める」と。実際、今回NHKの方々と仕事をしておりましたので、NHKのアナウンサーの方にも聞いたのですが、本当に「そうだ」と。この漢字を覚えれば明日からでも生活に役立つのだということで、例えば381文字の生活基本漢字を学ばせるための教材を作ったりするわけです。

 では読み書きが出来るようになれば、その人達が本当に胸を張って生きていけるかというと、そうではないのです。幼い子供達は貧困による差別や疎外を受けたりもしています。その事をどうしたら無くすことができのでしょうか。また、1970年代になると高度経済成長時代で夜間中学にも行けなかった人達が、もう一度勉強したいと学校に入学します。その人達は職場や地域での差別など色々な事があるのですが、その人達に、どうしたら生きる自信を付けることができるだろうかと考え、その結果、生きる力を支え励ます文法というものを考え出したりするのです。それはこの映画ではあまり描かれてはおりませんでしたが、テレビでは細かく描いておりますので是非ご覧頂きたいと思います。

 本当に生活に根ざした勉強。なぜ自分は勉強するのか。なぜ自分は数学をやらなければいけないのか。なぜ自分は物理をやらなくてはいけないのか。なぜ自分は国語をやらなくてはいけないのか。私は、そういう一人ひとりが学ぶという原点を夜間中学は与えてくれるのだという事を、撮影しながら改めて感じました。私たちスタッフもそういった形での勉強や学校に出会う機会がありませんでしたので、もう一度、人生があればこのような場所に来て勉強すれば本当に面白かっただろうし、もっと具体的な、実質的な力が付いたのではないか、と言い合いながら2年半にわたる撮影を過ごしてきました。

 当初も今も変わらないのですが、夜間中学には色々な過去や現在を持っている方々が数多く集まっています。その人達のプライバシーの問題や、同時にその人たちの傷に基本的には触れたくない、出したくないということで撮影がなかなか困難な場合が多いのですが、この舞台となった文花中の人達には非常に快く撮影を引き受けていただきました。

 私の一番大きな気持ちは、自分たちの学んでいる夜間中学に誇りを持って欲しいということでした。夜間中学の教育・夜間中学という学校に誇りを持って頂きたいという事を一人ひとりと話し合いました。その結果ほとんどの方の了承を得る事が出来、学校の全面的な協力を得て撮影することが出来ました。やはりこの映画を撮り終えて一番良かったと思うのは、今日は私がここに来て皆さんに話していますが、この映画に出た人たちや卒業生が演壇に上がり、自分たちの学校はこんなにいい所だったのだということを語ってくれているということです。それが何よりもこの映画を作って本当に良かったなと感じます。

 夜間中学の卒業生や、現役の先生、現役の生徒さんたちの集まる中で、私が以前に作った『渡り川』という映画を上映する機会がありました。『こんばんは』を作ろうという気持ちにさせていただいたのは、実はその上映会の後で私たちの学校にもこのようなドキュメンタリーが欲しいという声が上がった時なのです。その時私は、はっと思いました。というのは、それまで夜間中学の映画を本当に作っていいのかどうかを非常に悩んでいたからです。本当に顔を出して出演してくれるのだろうか。私達はそんなことをして良いのかという思いもずっとありました。しかし本当に自分たちの学校に誇りを持っているのだということがその言葉から伝わり、そこで決意して撮影を始めたのです。撮れば撮るほど、通えば通うほど、夜間中学の持っている教育の力が非常に良く理解でき、私も生徒と同じようにここに出会って良かったと思いました。

 なぜ今の昼間の学校で、こういう夜間中学のような一人ひとりの理解度に合わせて進めていく教育ができないのかということを、色々な先生方とも話し合いました。そこには非常に大きな問題が横たわっているだろうと思うのです。しかし夜間中学そのものが持っている教育力というのを、この映画をご覧下さった方々に色々考えて頂き、同時に今の教育に何とか風穴を開けるような力になっていただけたらと思っています。

 口で言うのは簡単ですが、実際教育の関係に携わっている方々のご苦労、とりわけ昼間の先生方のご苦労などは私も非常によく分かりますので、簡単には言えないと思います。しかし、いずれにしても教育を考える上でとても大事なこと、「学ぶということは一体どういうことなのだろう」「教師として教えるということはどういうことなのだろう」という、最も根本的というか、原点というか、そのような事が夜間中学の中には隠されているのではないかという気がしてなりません。

 この映画に出演していた人達のその後のことを少しお話しします。この映画でBクラスにいたお年寄りの三浦さん、矢田部さん、当時91歳で今はもう95歳になられた河本辛鶴さんの3人は、私達の撮影が終了した翌々年の2004年度に卒業しました。夜間中学というのは5年間あります。5年間勉強し卒業した後勉強がまだ足りないということであれば、2年間ですが聴講生という制度をとっています。合計で計7年間夜間中学に通う事が出来るのですが、結局その3人はその7年間を使い果たしてしまい、彼らはもっと学校へ通っていたかったのですが、卒業せざるを得なくなり渋々卒業をしました。

 その中で91歳の辛鶴さんが卒業の時に非常にいい作文を書いています。なるほど、と思いました。映画のナレーションでも説明していますが、辛鶴さんはちょうど学齢の時に占領下で満足に学校に行くことが出来ず、独学で文字を覚えたりした方でとても勉強家でした。撮影の際、泳がなくていいと言ったのに、撮影しているのだからいいところを見せようと思ったのかもしれません。泳ぐからそれを撮れということで、あの部分だけ泳いで、あとは歩いていました。さすがに現在は泳ぐことは出来ませんが、今も週に3回程度プールに通い1000メートルぐらいは歩いているというので、すごいなと思います。

 その辛鶴さんですが、私達が遊びに行くと必ず勉強をしているのです。予習・復習を必ず済ませているのです。「辛鶴さん、すごいですね」と言うと、すぐに恥ずかしそうに本を閉じてしまうのですが、その辛鶴さんが卒業アルバムの最後にこんなことを書いています。「先生方には親切にして頂きました。良い友達にも恵まれました。特に矢田部さんは兄弟のように付き合ってくれました。お世話になりました。文花中は私のただ一つの学校です。来年も来たいです。死ぬまで来たいです」。しかし残念ながら卒業せざるを得なくなり卒業したのです。

 私たちが撮影した文花中というのはあの後すぐ統廃合になり、新校舎に移転しました。辛鶴さんの家はこの映画の文花中の近所だったのですが、すぐ裏に新校舎が出来ました。そうすると、私たちの映画に出てくる文花中が空き家になってしまいましたので、そこを借り、今は退職した夜間中学の先生方が“鉛筆の会”という誰でも来て好きなように勉強する勉強会を開いています。辛鶴さんはそこに時たま顔を出したりしています。鉛筆の会は火木金と毎週3回開いているのですが、三浦さんと矢田部さんは休まずに通っています。

 また、アフガニスタンから来た青年が2人出てくるのですが、私たちの撮影が終わりに差しかかった時に突然彼ら2人が現れた為、急遽撮影しこの映画に加えました。そのうちの1人、この中ではモハメッド君と言われていますが、アリジャンという名前の彼は、難民申請を行い東京地検は通ったのですが控訴となりました。東京高裁では「難民と認めないということはない」というような非常に複雑な言い回しの判決となりましたが、日本に居られる事になり、今は日本人の方と結婚し暮らしています。高校を卒業して大学進学後医者になり、将来はアフガニスタンに戻って子どもたちを助けたいのだそうです。

 最後に秋元伸一君ですが、彼は本来ならばちょうど私達の撮影が終了した翌年に卒業する予定でしたが、文花中学の先生方が話し合った結果、まだ声の出方が少ないのではないかということになりました。あの後、自発的に話すようになってくるのですが、そこまではとても間に合わずそのような場面は撮影することができませんでした。その次の年に、同じように不登校だった青年が入ってきたのですが、その青年とは最終バスの時間になるまで話すほど仲が良くなり、徐々に彼自身も声が出るようになりました。その後都立の昼間の高校に合格、進学しました。

 つい先日、テレビ放映の許可をお願いしようと伸ちゃんに電話をした際、塾に行っていて不在だったのでお母さんと色々話をしたのですが、今は塾に通っており、一緒に大学のキャンパスも見に行ったということでした。ちょうど今は受験勉強の真最中とのことで、とにかく頑張れと伝えておいてくださいと伝えました。

 その伸ちゃんですが、卒業の時別れの言葉を書いて読んだのです。本当は撮影して映画の最後に使えたらいいなと思ったのですが、間に合わなかった為この場でかいつまんでご紹介します。

「僕が不登校になったのは小学校の5年生の時でした。不登校になって家に閉じこもるようになって、お母さん以外とはだれとも口をきかなくなりました。卒業式にも出られませんでした。中学校の入学式は行ったのですが、体育館の前まででした。会場に入ることはできませんでした。結局、中学校は1日も行くことができませんでした。学校に行けなくなって5年間、つらかったです。入学した時のクラスは、お年寄りの多いクラスでした。皆さんが優しく声をかけてくれましたが、だれとも口がきけませんでした。授業を最後まで受けることも、給食を食べることも、行事に参加することもできませんでした。授業は楽しかったのですが、国語の教科書を読むことができませんでした。何とか読めるようにしようとして、先生方が放課後、教科書を読む特訓をしてくれました。数カ月の特訓の結果、クラスのみんなの前で声を出すことができるようになりました。初めて声を出した時、クラスのみんなが喜んでくれました。勇気を出して声を出して良かったと思いました。いま夜間学級に入って、本当に良かったと思っています。夜間学級に入ってから、いろいろなことができるようになりました。僕でもがんばれば何とかなることを知り、少し自分に自信がつきました。夜間学級で付けた力を高校生活にも生かし、いろいろなことにチャレンジしたいと思っています。」

 若い生徒からお年寄りの生徒までいる夜間中学では、全国に35校、約2500名の方しか学んでいません。しかし、全国夜間中学研究会の調査によると、夜間中学を必要としている様々な事情で義務教育を受ける事ができなかった人達の数は、100万人を軽く超えているのだそうです。映画では、最後に字幕で「人権救済の申立を日本弁護士連合会で行っています」というところで終了しています。人権救済の申立については、日本弁護士連合会が2年半に渡って調査を実施し、「文字が読み書きできないということは生存権にかかわる」という意見書を文部科学省に提出するに至っています。(日本弁護士連合会『学齢期に修学することのできなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書』2006年8月10日)。文部科学省もそれを受けて、全国でニーズに合わせて調査するということでした。

 また、全国夜間中学研究会は、政令都市や各都道府県の県庁所在地に1校は夜間中学を設けて欲しいという要望を出しています。おそらく今後はそのような形で色々な事が進んでいくでしょう。見城先生は今度のテレビ番組の中で、「夜間中学というものは本当はあってはならない学校だけど、無くてはならない学校だ」ということを最後に話しています。確かに法律上では認められないグレーゾーンにある学校です。しかしながら、現実はそれを必要としている人がおり、その必要とする人たちの為に夜間中学は存在し、時代の変遷と共に形を変えながらもその人達の必要に応じた学びを提供してきた場所なのです。

 本来ならば日本が豊かになれば無くなるはずの学校が未だ存続し、さらにその教育内容は研ぎ澄まされてきています。それはいったい今の昼間の学校が持つ教育力というものと比べてどうなのでしょう。これこそが本当に皮肉な事だと非常に強く思っています。夜間中学というのはこういう学校なのだ、こういう教育をしているのだ、という事を1人でも多くの人に知って欲しい。映画をご覧になって気に入ってくださった方々は、是非、夜間中学という学校が存在するという事を、色々な場所で、口コミででも伝えて頂ければと思っています。今日はありがとうございました。(了)