沿革
慶應義塾では、明治初期から中等教育段階の学校の教師を多く輩出しています(「明治二十三年以前における慶応義塾出身教職員の派遣教師一覧」、『慶應義塾百年史』付録、参照)。1900(明治33)年3月には、大学部卒業生に対して中等教員無試験検定の特典を受けましたが、同年末には返上し、1904(明治37年)に再びその特典を得、戦前は中等教員無試験検定や高等学校高等教員無試験検定により、教員資格を取得し、教壇に立った卒業生もいました。
戦後は1949(昭和24)年に教育職員免許法が公布され、文学部内に教職課程を設置し、そこで教員養成を行っていましたが、1953(昭和28)年には同法が改正され、課程認定制度が導入されたことから、1954(昭和29)年に大学の通学課程では中学校教員(国語・社会・英語・独語・仏語)・高等学校教員(国語・社会・英語・独語・仏語)の、通信教育課程では中学校教員(国語・社会・英語)・高等学校教員(国語・社会・英語)の認可を受け、さらに通学課程では1956(昭和31)年に中学校教員(数学・理科)・高等学校教員(数学・理科・工業)、1957(昭和32)年には高等学校教員(商業)の認可を受け、教員養成を行っていました。また、大学院の課程でも、1956(昭和31)年から課程認定を受け、教員養成が行われてきました。
このように慶應義塾では教員養成についての長い歴史があり、戦後は文学部に教職課程が置かれて、教員養成がされてきましたが、1982(昭和57)年12月に「大学教職課程センター規程」が制定され、翌年6月、三田キャンパスの南校舎1階に教職課程センターが全塾的な組織として開所しました。当時、教職課程センターという独立組織を持って教員養成を行う大学は他になく、総合大学における教員養成の全学的組織化に踏み出す嚆矢として、本学はユニークな道を進んできました。なお、「大学教職課程センター規程」は、これまで何度か改正されていますが、現在の規程では教職課程センターの目的は、「センターは、大学における教職課程および教員に対する現職教育にかかわる業務を、全塾的に円滑に運営すること」となっています。
その後の教育職員免許法の改正や、大学設置基準の大綱化などの影響による学部・大学院の新設・改組の際には、本学ではその都度、教職課程センターを中心として課程認定の申請を行ってきました。具体的には、「高等学校教員(社会)」の免許がなくなったことを承けて、1990(平成2)年からは「高等学校教員(地理歴史・公民)」の免許の課程を設置。2001(平成13)年には、文学部に「中学校教員・高等学校教員(中国語)」の課程を、文学部と理工学部に高等学校教員(情報)の免許の課程を設置。2002(平成14)年には、新たに総合政策学部に「中学校教員(社会)・高等学校教員(公民)」、環境情報学部に「高等学校教員(情報)」の課程を設置し、さらに、大学院政策メディア研究科にそれらの専修免許の課程を設置しました。なお、1991(平成3)年には教職特別課程を設置し、1年間での教員養成も行っています。教職特別課程は、慶應義塾大学・大学院の出身者のみを対象としていましたが、2006(平成18)年度からは慶應義塾大学・大学院出身者以外の方も出願できるようになりました。
2005(平成17)年3月には、教職課程センターのほぼ全ての機能を三田キャンパスの南館に移転しました。近年では、学生自身を含めた多様な主体による「プロセス参加型アセスメント」を軸に総合大学の特色を生かした教員養成を展開することに加えて、広く市民の方々に参加していただける「公開研究会」の開催や、大学院修学休業制度による現職教員研修(大学院社会学研究科との連携)、東京都・港区からの受託事業としての現職教員向け講座の実施、国内外の訪問研究者の受け入れなどにも取り組んでいます。